私の天文遍歴(黎明編その2)

1965〜1966

1965年=昭和40年はイケヤ・セキ彗星の出現や、天文誌「月刊天文ガイド」の創刊で、
往年の天文ファンには懐かしい年のはずである。
その頃の私masarukは幼稚園児.。 星見人(ほしミスト)の萌芽がやっと顔を出したところだった。
イケヤ・セキ彗星の長い尾も、活発だった獅子座流星群も見ていない。
それでも、オリオンとかアンドロメダとか耳に馴染んだ星座を、
あれこれ父に尋ねているようなチビだったのである。

そんな私を、父はある日渋谷のプラネタリウムに連れて行ってくれた。
当時の住まいは世田谷区赤堤。玉電(今の世田谷線)が、
まだ三軒茶屋から先、246沿いに渋谷まで走っていた頃の話だ。

はじめて目にしたプラネタリウム投影機。
そのツァイス投影機の鉄亜鈴型こそ、以降私にとってのプラネタリウムのスタンダードになった。
私の脳裏に、いわゆる「刷り込み(インプリンティング)」が行われたというわけ。

ツァイスIV型プラネタリウム 天文博物館 五島プラネタリウム
西独 カールツァイスW型 投影機
(時代に後れない、
      その洗練されたスタイル)


初めてのプラネタリウム体験は強烈なインパクトだった。
明るいうちは確かに丸い天井がそこにある。
それが、音楽と共に太陽がシルエットの向こうに沈むと天井の意識が薄らぎ、
夕焼けから青い残照、そして星たちが輝きだすと天井はもはや存在しない。
そこには無数の星たちに彩られた漆黒の奥行き=宇宙があるだけだった。
こういう演出、展開に人一倍反応するDNAを宿していたのかもしれない。
とにかく、口をポカーンとあけたまま身震いするくらいの衝撃と感激があったのである。
プラネタリウム、プラネタリウム・・・この素敵なそして不思議な響きをもった言葉の虜になった。
このとき五島プラネタリウムに出会ったことが、私の天文黎明期では最も大きな意味を持った。
その後、2001年春の閉館までに何度このツァイスの星空を満喫しただろうか・・・。


そしてこの頃、もうひとつ大きなはずみとなったのが、一冊の図鑑との出会いである。

講談社 目でみる科学T
宇宙  広瀬秀雄 編著

1966年3月発行
図鑑「宇宙」

それは小学校に上がる春、1966年のある日のこと。父が一冊の学習図鑑を買ってきた。
就学前の子供には高級すぎるくらいの本だったが、
読めない漢字は適当に飛ばして読んで読んで、穴があくほど写真に見入った。
40年経つ今でも、何ページのどのあたりに何が書いてあるかは忘れていない。
もちろん数百冊の天文蔵書の第一号として、今でも、書棚の栄えある位置を占めている。

昭和30年代の終わりに芽が出た私の天文人生。
昭和40年代初頭にこうした栄養を与えられ、これからいよいよぐんと伸びることになる。
小学校2年で初めて登場した理科での星の授業。
それは勉強でもなんでもなく、まるで息をするが如く、自然に我が身に収まった。
自分が星に関しては一歩も二歩も抜け出たことを感じた頃である。

兄弟のいない私は、身近な存在として星たちとの対話を深めていった。

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