私の天文遍歴(成長編その1)

1969

明けて
1969年=昭和44年。 私にとっては様々な意味でエポックメーキングな年であり、
少年時代へのノスタルジーという点でも、なかなか味わいのある年である。


年明けの夕空には、宵の明星の金星が抜群の輝きを放っていた。
星座の認識・識別能力(?)が急速に深まったのはこの頃からだ。
星図や星座早見と実際の星空との整合がすっきり胸に収まると、
広々とした夜空が、俄然自分の馴染みのフィールドとして親しみの新世界となっていった。

3月。 アポロ9号が地球周回軌道で、LM(月着陸船)のテストを行う。

3月18日火曜日。 部分日食の日。

幼稚園時代に偶然眺めた日食から4年半。 今度は自分の理解で日食を迎える。
平日だったが、この日は保護者会で小学校の授業は半ドン。
友人宅の2階で、おもちゃのような卓上望遠鏡にサングラスをつけて日食を待った。
午後3時。 太陽の左側が欠け始める。
40分ほどで、太陽の2割足らずが欠けた。 ほんの軽微な日食だったがやはり不思議だった。

4月19日。 美しい夕空で三日月がプレアデス星団のど真ん中に鎮座する見事な「すばる食」
この日は快晴、しかも空気が澄んでいたので非常にクリアに見ることができた。
時刻が早すぎれば、昼間になってしまうし、遅ければ月が沈んでしまう。
まさに「最高のすばる食」だったと断言していい。
あんなに条件の良い、そして美しいすばる食には、その後も出会っていない。
その夜更け、南東にアタマを出したさそり座で見たアンタレス(火星の敵の意)と火星の競演。
実は、あれこそが火星だ!と、自分で見出したのはこの晩が初めて。
ちょっとした星界のできごとがことごとく日付を伴ってインプット、焼きついているのは、
発展途上の若い脳味噌の証明か・・・。 とにかく1969年の天文現象はいまだに空で言える。

5月にはアポロ10号が、LMを月面上空高度15kmまで降下。
夏の着陸本番を控えて準備は着々。 テレビ報道もますます熱を帯びてくる。

5月31日。 住んでいた府中では夕刻からとにかく猛烈な大雷雨。
すごいのなんの。 落雷の轟音で地響き、畳が揺れたのを覚えている。
そして雷雲がようやく去った午後8時過ぎ、雨に洗われて澄み切った夜空に
驚くほどの白さをたたえた満月。 傍らに衝を迎えた火星の輝き、さらにアンタレス。
鮮やかな光と色彩の競演に息を呑んだ。

6月8日未明。 何かの拍子に目覚め、そっと家を抜け出した私の目に飛び込んできたのは、
深いコバルトブルーの東天に輝く白銀色の金星の、宝石を超越したような輝き。
左手に土星。 やや上方には下弦の白き片割れ月。
「いやあ、金星さん、久しぶりに会えたね・・・」確かに私は星に話しかけた。
周囲は静寂そのもの。
夜明けの早い6月のこと。3時や4時の世界は自分だけのもの。
小学4年生にとって、そんな時刻に星を眺めること自体、新鮮な経験だったのだ。
このときから、夜明けの静けさの中で、季節を先取りした星たちの姿を見るのがクセになる。

7月16日晩(日本時間)、アポロ11号の打ち上げ。 生中継に震える。

7月21日明け方、目覚ましで起きて母とテレビをつける。
ヒューストンと着陸船イーグルの交信音。 スタジオの解説。
午前5時17分ついに着陸。 交信と通訳だけの中継でも息を詰めて聞き入った。
夏休みに入ったばかり。 ひと眠りして、今度は船長の月への第一歩を待つ。
月からの白黒中継が入りだす。 最初は何が写っているのかわからない。
そのうち、それが宇宙服に身をかためたアームストロング船長の姿だと理解できた。
ゆっくりゆっくりハシゴを降りる。 そして午前11時56分、ついに月面への第一歩が記された。

アメ帝の巨大宣伝、ベトナム戦争
批判の矛先そらし・・・
そんなこと言う向きもあるようですが、
当時の小学生にとってはやはり、
人類の偉大な挑戦だった


その晩、1969年7月21日の宵の月もきれいだった。 上弦、半月よりちょっぴり欠けた月。
そこに今人間がいるんだなあ・・・感慨をもって見つめた。
遠い国アメリカの宇宙飛行士という意識はなかった。 自分と同じ人間があそこにいるんだ・・・。
アポロフィーバーの頂点! それを体験して私は天文小僧に加えて宇宙少年になった。

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