私の天文遍歴(成長編その4)

1970


1970年の春で鮮明な記憶が2つ。 ひとつは
EXPO70、すなわち大阪の万国博覧会である。
大阪万博はこの年の3月15日から9月13日まで、千里丘陵で開かれていた、
日本の高度成長期を象徴する大イベントのひとつであった。
 私は2度会場を訪ねているが、一度目は春休みの3月24日。
当時、父が単身赴任していた名古屋をベースに新幹線の日帰りだった。
 新大阪から千里へ向かう電車の混雑は人生初のウルトララッシュ経験。

宇宙少年masarukが万博で目当てにするものといえば大きく2つ。
 ズバリ、アメリカ館とソ連館である。
とりわけ最大の目玉は前年にアポロが持ち帰ったばかりの「
月の石」の実物。 これでキマリだ!

3月24日ははじめ曇り、のちに青空。 北風が冷たかったのを覚えている。
現代では、色とりどりのパビリオンが立ち並ぶ風景は巨大テーマパークなどでお馴染みのもの。
 しかし、あの当時はとにかく物珍しく、また華やかさと整然さが入り組んだ不思議な世界だった。

アメリカ館では入館までの待ち時間は1時間40分。
正直、宇宙開発関連のコーナーしか覚えていない。 月着陸船、宇宙服、
NASAの訓練センターから持ってきた、宇宙飛行士ひとりひとりにあつらえた、
宇宙服着用中着座用の特別チェア。
 そして実際に月を周回して帰ってきたアポロ8号の本物の指令船。 これにはシビレた。
 大気圏再突入で焼け焦げたカプセル底部が印象的だったが、
見物のオバちゃんたちがしきりに触れようとするのを、背広姿の米国人ホストが
「サワラナイデクダサーイ!」を連発してたのがおかしかった。

そしてあったぞ「月の石」。大きさはゲンコツくらい。
 金属のツメに支えられてうやうやしくガラスケースに入れられて宇宙コーナーの一角に鎮座。
 もちろん人だかりではあったけど、混乱もなく順々に流れて、
案外間近でしっかり眺めることができたのは幸いだった。
 万博で展示されたのは、前年11月にアポロ12号が月面「嵐の大洋」から持ち帰ったもの。
照明を当てられてディテイルまで非常に鮮明に見ることができた。
まあ石ころと言ってしまえばそれまでだが、
いつも望遠鏡で眺める38万km彼方の天体そのものが目の前にあるという感動はひとしお。
そういうものに感激するという点では私は相当「オメデタイ」少年であったが、少年の感動は大事でしょ。
(思えばその3週間後にアポロ13の宇宙事故が起きたわけで、
アメリカ館の関係者もさぞかし気を揉んだことだろうなあ。)
万博展示の月の石
b
大阪万博
アメリカ館に登場した月の石

1969年11月アポロ12号採集



天文年鑑’71年版

万博は夏休みにも泊りがけで見学したが、そのときはソ連館を炎天下の3時間待ちで制覇した。
アメリカ館の印象もあったのでどうかな・・・なんて思ったが、いや、こちらも負けず劣らずスゴイ。
でっかい
ソユーズ宇宙船をそっくりそのまま頭上にぶら下げるあたりはアメリカ館以上の力技。
月の石こそないが、なんとなく鉄のカーテンの向こうで遠いイメージの強かったソ連の宇宙開発を、
非常に身近に感じたのは間違いない。
万博に関するmasaruk判定は、米ソ・・・まあ引き分けかな・・・。

さて、1970年の春の星界で忘れることができないのは20世紀を代表するホウキ星のひとつ
ベネット彗星」の出現だ。
 とにかく明るい頭部から太い尾をたなびかせ、「これぞホウキ星でござい!」を地でいった星だった。
 3月末には明け方の東の空に偉容を見せ始め、4月になって高度を上げ,
見事な偉観を呈するようになったのは素晴らしかった。 

世紀のホウキ星
「ベネット彗星」
天文ガイドの表紙を飾る


1970年6月号・7月号

5月に入ってもまだ肉眼で見ることができ、天球上をぐっと北上したので、
夕方は北北西に、夜明けには北北東にといった具合に
、一晩中見える「周極星」になったのも特徴であった。
 まだ天体写真を撮影する技術も機材もなく、眺めるだけしかできなかったが、
何度も何度も早起きしては眺めたものである。
 頭部の明るさ、輝きという点ではいまだに私の彗星見聞録の中では最高の星である。