私の天文遍歴(成長編その5)

1970〜71


楽しく過ごした1970年も残り少なくなった。 
宵の明星(金星)は地球を追い抜いて、明けの明星へ移り変わり、
木枯らし吹きだすの季節には、土星が落ち着いた光を毎夜投げかけるようになった。
masarukの頭にも、すっかり天球の移り変わりや惑星の位置取りがインプットされ、
想念すれば、星空のイメージはおおむね自在に浮かべられるようになったのである。
そんなある日の新聞の切り抜き・・・
70年12月24日夕刊記事

1970年12月24日
毎日新聞夕刊


金星・火星・木星
クリスマスの朝に並ぶ・・・
800年に一度
どんなに小さくても、星に関する記事が掲載されると嬉しくて仕方なかった。
ちょっとした切抜きをするのも楽しみだった。

明けて1971年
この年は天文ファンにとってはなんといっても「火星イヤー」だ。
1956年以来15年ぶりの
火星大接近の年だったのだ。

火星の前にいくつか・・・
2月10日には月の出前後の皆既月食があって、
寒風の中、冬晴れの地平線から皆既食を終えたばかりの細い月が現れるのを印象深く見た。
私が道端で望遠鏡を覗いていると、通りすがりの人も何だろう?とばかり、
筒先の方向に視線を持っていく。
 でもどれほどの人が地平線上の月の断片に関心を持ったろうか。
本当は夕暮れの東の空に細い月が光っていること自体、不思議なことなのだが・・・。

寒さがいくぶん緩んできた3月はじめのこと。
小学校のクラスメイトに呼びかけて、我が家の前で天体観望会を開いた。
集まったのは男子6人と女子3人。
天気に恵まれ、みんなに星座の話をして、オリオン星雲や土星の環などを見てもらった。
しかも見事な大流星がオリオン座を真っ二つにして飛ぶおまけつき。
みんな喜んでくれ、これがきっかけで「マーキュリー天体観測会」なるものが生まれた。
小学生が夜に集合して星を眺めるのには心配した親御さんもいたらしい。
しかし当時の担任のM先生が「子供たちの自主性を大事にしましょうよ」と、
心配性のお母さんたちをなだめてくれたということ。 師には恵まれた。

さあ6月頃から、夜更かしをすると東の空に火星がらんらんと光を放って
上ってくるようになった。 大接近は8月の上旬のことである。
愛読している天文雑誌も「火星大接近」の特集号を出した。
学校の家庭科の時間にこっそり読んでいて先生にとりあげられたのが
今となってはなつかしい想い出である。
天文ガイド71年7月増刊号「火星」
「火星〜観測と研究」
天文ガイド’71年7月号増刊
アマチュアの観測対象としてはかなりの難物とされる火星。
しかしそこは大接近。 7月に入ると明るさもみかけの大きさもグンと増して
私の望遠鏡でも、白い南極冠や薄暗い模様が見えるようになってきた。
夜空に妖しいまでのオレンジの巨光を投げかける火星は、
知らない人が見たら、しょうしょう不気味なほどの鮮やかさであった。
masarukの火星スケッチ
1971年7月31日22時15分
8.5センチ反射経緯台
HM6mm 140倍
71年7月31日の火星スケッチ
火星のスケッチは初挑戦だったが、6月頃からちょくちょく描いて、
9月まで断続的にスケッチを続けた。
特に7月31日はシーイングが非常に良く、大シルティスなど顕著な模様も
地球を向いていたため、南極冠(スケッチ上端の半円形)と併せて、
火星らしい姿を楽しむことができた。

また8月7日の未明には、夜明け前の南西の空で皆既月食があり、
皆既中の赤銅色の月とオレンジの火星の対比が夢のような美しさだった。

この年、小学校6年夏の日光への修学旅行の際も
宿の窓から見える火星の炎の色が目に焼きついている。

そしてこの夏休みで5年近く暮らした府中に別れを告げ、
既に父が単身赴任していた名古屋へ合流する形で移り住んだのである。
府中の友人たちとの別れはつらかったし、マーキュリー天体観測会も自然消滅してしまった。
しかし、このときの友人、特にN君とA君とは、
いまだに家族ぐるみの付き合いが続いている。

名古屋への転校、そしてmasarukは天文ライフも含めて
ぼちぼち思春期へと突入していくことになる。