私の天文遍歴(成長編その6)

1971〜72


名古屋に転校したのは71年の9月、小学校6年の2学期からだ。
だいたい新天地の環境に慣れるのが早いほう。
9月末のクラス対抗ドッジボール大会ではいきなり主将を拝命して、優勝を勝ち取った。

夜空を見上げると、次第に遠ざかり始めたとはいってもまだまだ火星が明るく、
毎晩のように望遠鏡を出しては星を眺めていた。
要領よく新天地に適応すると言っても、東京と名古屋では雰囲気もだいぶ違うし、
府中の友達を思い出すと、寂しさもがあったのも確かだった。

名古屋で足しげく通ったのは
市立科学館である。
父の単身赴任時代から、休みに名古屋を訪れるたときには是非モノだった。
少年時代の記憶とはいえ、かなり楽しめる場所だったのは間違いない。
下から順番にフロアを制覇して、最後に宇宙コーナーとプラネタリウムだ。
名古屋のプラネタリウムは渋谷と同じカールツァイスIV型。
ただ1962年導入のマシンで、IV型1号機の渋谷よりも5年あとの兄弟。
本体は殆ど同じだがサポートする足の形状が大きく変わっている。
演出の味わいも渋谷の五島プラネタリウムと名古屋科学館では
だいぶ違っていたと思うが、それは個性というものだろう。
概して名古屋は演出部分が「どえりゃーハデ」。ドーム内のストロボいくつも設置して
星の大爆発を演出したり、ベンチャーズの「テルスター」をがんがんかけて
日周運動と南北緯度運動を同時最速運転して、地球周回の雰囲気を出したりと、
かなりインパクトがあった。

そうこうするうちに1972年。
1月30日に宵空の皆既月食があった。 名古屋は快晴だが滅茶苦茶寒かった。
皆既時間36分の短いものだったけれど、空気が澄んで美しさは格別だった。

札幌オリンピックで日の丸飛行隊が70m級でメダル独占。
「虹と雪のバラード」のシングルを買ってよく聴いたものだ。

4月に中学進学。 宵の明星が毎日高々と輝く。
新しい中学のクラスメイトを誘って明け方に星空観望などもやった。
しかし飽きてくると、近所のマンションの屋上からロケット花火飛ばしたりと、
けっこう悪いこともやってたなあ(冷や汗)。・・・だって夜明け方ですよ。

クラスでは「宇宙少年」の評価をいただき、1年C組担任の正之助先生が
週に一度放課後のHRの時間に、私がみんなの前で宇宙開発の話しをする時間を
設けてくれた。 思えば、人前で喋る素地はあの頃できたかも・・・。

またまた転校の話に。 父が広島に転勤と決まり、私の名古屋暮らしは1年で終わり。
夏休みは東京で過ごしたが、8月13日の未明には府中の友人A君と
ペルセウス座流星群観測。
観測中に、見回りのお巡りさんに職務質問されること2回。
数えた流星数は64個。 ちゃんとした流星群観測はこれが始めて。

夏休みの後半に従弟の別荘がある軽井沢へ。
星空におおいに期待したのだが、なんと4日間、毎晩日が暮れると霧。

夏休みの終わりが近づいて、東京から一気に広島へ旅立つ。
この年に岡山まで伸びたばかりの新幹線、岡山からは特急「はと」で2時間。
広島駅に降り立ったのは1972年8月27日の午後遅くであった。

広島はティーンエイジの殆どを過ごした、私にとっての名実を伴う青春の地。
このときから5年7か月の広島暮らしが始まった。 大人の時間とは尺度が違う。
それは10年にも匹敵する5年7か月なのだ。
もちろん星との関わりも広島の地を舞台に大きく展開していくのである。