私の天文遍歴(成長編その8)

1972


まだ続く1972年の物語・・・

masarukも中学生になり、天体写真に興味が出てきたのはこの年の秋、
ジャコビニ流星群騒ぎも去った10月半ばのこと。
家で一番まともなカメラは父が愛用してきた古いキャノネットだ。
これで星を写すことにチャレンジすることにした。
フィルムはモノクロのコダックトライX。 60年代から天文ファンにはおなじみのもの。
感度は当時の規格表記のASAで400。 
国産の定番モノクロ、フジのネオパンSSやSSSに比べると高感度のわりに
粒状性(フィルム粒子のキメの細かさ)が良いのが人気だった。

最初は構図もへったくれもなくて、とにかく夜空に向けてみた。
三脚なし、レリーズなし、何もなしで、椅子の上に厚手の本を積み重ね、
それにカメラをよっかからせるという原始的方法で挑戦。
シャッターをバルブ(開放)で留まるT(タイム)にして、シャッターボタン押してから
そお〜っとキャップを外すという方法で写した。
星空写真第一号

masaruk最初期の星空写真
左右とも1972年10月中旬
広島市内にて撮影
 キャノネット トライX


とにかく懐かしい
記念すべき最初のネガである
牡牛座付近

左の地上風景が写っているのが
、私の第一号星空写真である。
クリックして拡大していただくとわかるが、山の上にしょぼしょぼ星が写っている。
実は上ってきた大犬座の方向なのだが、シリウスがちょっと写っただけで、
低い雲の向こうに隠れてしまっている。 正面の山は広島駅に近い「二葉山」である。
右の写真は、夜中まで待って頭上の牡牛座を写したもの。
ヒアデス、プレアデス(すばる)両星団がわかる。 画面左の輝星は土星だ。

とにかくフィルムに星の光跡をとどめられたことが、本当に嬉しかったのは言うまでもない。

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1972年も押し詰まった頃、私にとっては大きな出来事があった。
自分の貯金に親の援助を仰ぎ、2台目の天体望遠鏡を購入したのである。
口径は一気に15センチの反射望遠鏡。 架台も鉄柱スタンドの電動赤道儀である。
当時の価格で14万5000円は、学卒初任給の2か月分といったところか・・・。
家に届いたのは12月21日の午後。木枠に守られた大きなダンボール2つ。
胸が躍る瞬間だった。
LN6E反射赤道儀
masaruk2台目の愛機

アストロ光学
LN6E 15センチ反射赤道儀
口径150mm
焦点距離1300mm
シンクロナスモーター電動追尾
Or4mm 325×
Or6mm 217×
K12mm 108×
K25mm 52×
ファインダー12×40mm

天文ファンである以上、大きな望遠鏡は常に夢である。
10センチの反射望遠鏡がスタンダードになろうかという時代に、
15センチ反射赤道儀のオーナーになれたmasarukは幸せな中学1年生だった。
社宅の中庭に下ろすのもなかなかの重労働だったが(総重量60kg)、
とにかくこの望遠鏡はよく見えた。 土星の環は3重構造がくっきり見えたし、
球状星団もつぶつぶの微光星の群れに分解してみせてくれた。

今でも目的の星を視野に導入してスイッチを入れたときに聞こえる
シンクロナスモーターの微かな唸りが、懐かしく耳の奥によみがえってくる。

最後のアポロ=「17号」の月探検があったのも、この72年12月である。
小学校時代からアポロに大きく「お世話になった」私は、
国語の時間の小論文で惜別の意味を込めてアポロへの想いを綴った。
厳しい先生だったが、とても評価してくれたのが嬉しい記憶である。
好きなことを書くと、筆が生き生きするらしい。

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1973年(昭和48年)がやってくる。 
カープは相変わらず弱かったけれど、masarukの広島生活は、
楽しい中学時代のひとつのヤマを迎える・・・