私の天文遍歴(成長編その9)

1973


3月7日に、1973年6番目の彗星が西ドイツで発見された。
発見者の名前で呼ばれるそのホウキ星は「コホーテク彗星1973f」。
すぐさま計算された軌道要素によると、
この彗星は12月28日に太陽に最も近い「近日点」を通り、
その際の太陽との距離が0.1424AU(天文単位)と、小さいことがわかった。
天文単位は太陽・地球間の距離(1億5000万km)を1とする距離の尺度だ。
天文誌には、早速「コホーテク彗星、肉眼大彗星へ」の記事が載り、
一般の新聞紙面にも「年末に明るく長い尾」といった第一報が掲載された。
私も、晩秋ころから明るくなってくるであろうこの星に期待をした。

ゆっくり太陽に近づいてくるコホーテク彗星はひとまずおくとしよう。

masarukは春から中学2年。
前年の秋からはじめた天体写真撮影も徐々に対象を広げていった。
15センチ赤道儀の鏡筒にカメラをくくりつけて
星の動きを赤道儀で追いかける「ガイド撮影」を始めたのもこの頃からだ。
ガイド撮影することによって、星はフィルムの上で点像となって写ってくれる。
こと座周辺

こと座周辺
1973年初夏
広島・自宅前にて


赤道儀で星を追尾する
「ガイド撮影」の初期の写真

50mm標準(部分トリミング)
 5分露出 トライX

晴れれば夜毎、星雲星団、惑星、月面など、片っ端から探訪して回った。
その頃は同じ社宅に住む、ひとつ年上のO君と一緒に天体観測をしたものだ。
O君は、がっちりした体躯のギターの上手い上級生。
10センチ反射赤道儀のオーナーで、2人の望遠鏡を並べて
代わる代わるいろんな天体を覗いたものだった。

2人は天体写真でも協力しあうと同時にライバルでもあった。
あれこれ議論しながら挑戦するのは本当に楽しかった。
その頃の私は、父が譲り受けてきたキャノンの一眼レフのボディを
アダプターで15センチ反射望遠鏡に取り付け、
月面や惑星の拡大撮影に挑戦を始めた。
70年代は、天体写真に使うカラーフィルムというと
普通のネガカラーではなく、リバーサルフィルムと相場が決まっていた。
現像から上がったときにネガではなく、ポジカラーの「スライド」になるフィルムである。
ネガフィルムに比べて色の再現性に優れるという理由からで、
当時は、天文雑誌の読者投稿写真もリバーサルしか受付けなかった。
1973年の土星
月齢6の月
月面山岳地帯
土星 月齢6 月面山岳地帯

決して上等な写真ではないけれど、
土星の環や月面のクレーターの連なりも、自分の手で写しただけに
30年近い時間が流れても記憶を鮮明に呼び起こしてくれる。
私は当時、フジクロームR100を使っていたが、その感度はASA100。
星空を写すにはちょっともの足りない感度で、撮影には手間がかかったが
何でも便利になった今思い返すと、楽しき良き想い出である。

オリオンの光跡
1973年秋の深夜
広島・自宅前にて


星々の色の対比が美しい。
三ツ星下の紅色の光跡は、
大星雲M42の色彩である
50mm標準 フジクロームR100
オリオン座の光跡

広島商業が夏の甲子園を制した暑い夏が過ぎ、
2年前の大接近ほどではないが6500万kmまで接近した火星が
もともと寂しい秋の星座の中でひとり気を吐いていた。
夜露が冷たくなるにつれて、コホーテク彗星はアマチュアにも手におえる
明るさにまで成長してきた。

気温が下がる季節になっても天文ファンの熱は高まるばかり