私の天文遍歴(充実編その4)

1978


1978年秋風の季節。
観測拠点を御岳山長尾平から五日市町落合に移すことになった私たちは、
まずプレハブ観測所建設地の下草刈りからはじめた。
場所はJR、すなわち当時の国鉄・五日市線の終点、武蔵五日市からバスで15分、徒歩10分。
終電で着いたときなどは、駅から徒歩60分余り。
多摩川の支流、秋川の上流部を見下ろす丘の上に借りた土地だ。
すぐ隣にはT海大学天文宇宙同好会のプレハブが先に立っていた。

五日市線のキップ
よくまあこんなものを・・・と笑うことなかれ
   五日市観測所訪問の証 旧国鉄の硬券(厚紙キップ)

上は、1978年9月15日。 初の五日市訪問時
観測所建設予定地の下草刈りのときのもの。
下は、五日市観測所完成後の最初の観測合宿、
「オリオン座流星群観測合宿」のときのもの。

しかし、こんなものが残っているとキセルがバレバレ(時効) 

のちには快適になる観測所の暮らしも、はじめの頃は何もないので、
山に行くのと同じ装備でフレームザックを背負ってでかけたもの。
海抜900m余りの御岳山に比べれば、200m程度の五日市観測所の空の具合は一段落ちたが、
それでも快晴の晩には天の川くらいはちゃんと見えた。
この観測所はこのあと約10年にわたって、N大学天文研の拠点として活躍することになる。

五日市観測所78年10月
完成まもない、1978年10月の五日市観測所

観測所といっても、15畳のプレハブとトイレだけ。
3年後にはすぐ右手(西側)に、
30センチ天体望遠鏡が収められたスライディングルーフができる。
流星観測などは、手前の砂利道の部分にシートを敷いて
空を見上げたものである。 
画面の左隣にT海大学観測所があった。
10月のオリオン座流星群観測合宿から本格的利用がはじまった。
多いときには20人も泊まりこんで、室内に寝袋でゴロ寝。それもまた青春スタイル。
朝一番の大学の講義のときには、徹夜観測のあと6時の始発バスで駅に向かい、
五日市線、青梅線、南武線、京王線と乗り継いで8時頃にキャンパスに着いた。
もっとも、朝一番の講義にマジメに出席していたのは1年のうちだけだったが・・・。

12月、いわゆる大学闘争から10周年でくすぶっていた火の手が上がる。
学内でセクトと学外の右派学生、当局の衝突も発生し危ない空気が漂っていた。
ちょうど双子座流星群の観測合宿を控えていた私たちは、
ロックアウト=大学閉鎖=学生締め出し=休校もあるとみて、
サークル室の観測道具、ガリ版印刷機、文献などを、手分けして五日市に運び出す。
12月14日、流星群観測を終えて山を降りた私たちがキャンパスに行くと・・・
「当分の間、全講義を休講します」の張り紙。やはり来たぞロックアウト。

結局大学は翌年春までお休み。一般教養の単位は短いレポート提出でOK。
専門分野だけが2月に集中試験となった。

大学は休みでサークル室が使えなくても、五日市観測所があるので、
私たちの活動は予定通りだった。
小熊座流星群観測。クリスマスコンパ(笑)。・・・

こうして激動(?)の1978年は流れ行き、1979年がやってこようとしていた。
その1979年は流星乱舞で幕開け・・・