私の天文遍歴(充実編その5)

1979


1970年代最後の年は、正月早々の流星群観測で幕開け。
竜座ι流星群=通称:四分儀群のシャープな極大が、日本の夜明けにかかる予想。
月は上弦で、流星群の観測が始まる夜半には月明の影響はなくなる。
正月3日に五日市観測所に集まったのは5人。
流星の全天観測を行うにはギリギリの人数である。

夜半。北北東の低空に流星の輻射(放射)点が昇ってくる。
そのころから、地平線から天頂に向けて駆け上がる、長経路の流星が流れ出した。
「これはかなり出そうな感じだよ」、流星観測のベテラン先輩がつぶやく。

果たして、0時台、1時台、2時台と流星の数はうなぎのぼり。
精密なデータも取りづらくなってきたので、
とりあえず、流星の数と四分儀群であるか否かを判定し、記録することに。
3時台には1時間流星数が180になった。

「ハイ!1等大熊座、群!」「ホイ、こっちは2等、乙女座、群!」
「おおーっ!(複数の叫び)明るい、マイナス2等!オリオン座、群!」
静かな夜明け方の丘陵地に、我々の声が響く。
5時を回った頃、北西の空がパッと明るく閃き、半月のように明るい大流星が飛んだ!
「わあー!」「ギャア!」「あーっ、あっあっ!!」・・・
五日市で私たちが目撃した大流星(火球)は、
帰省していた仲間のT君が長野県の真田町で見事写真に収めていた。
この写真は確か79年春先の天文博物館五島プラネタリウムの
パンフレットの表紙を飾ったと記憶している。
流星観測集計用紙1979年1月
1979年1月3/4日の四分儀群の観測をまとめた
N大学天文研、集計用紙。
(日本流星研究会への報告フォーマット)
のべ321分で705個の流星をカウントしている。
なお、最下段に午前5時過ぎの大流星の記述
「1月4日5時10分43秒出現、明るさマイナス6等
 竜座(四分儀)群、小熊座からきりん座へ
 痕跡2.2秒ほど継続、色は黄色」と読み取る。
5人で空を監視とはいえ、夜半から夜明けまでで700を超える流星を捉えた。
1時間に100を超えれば、流星群としてはかなりの出現である。
このときの四分儀の流星の舞は、かなり私のその後の流星観測志向に影響を与えた。
このパフォーマンスを、それもはるかに上回る流星の乱舞に出会うのは、
22年10ヶ月後の、2001年の獅子座流星群のことになる。

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ほどなく私は天文研流星班の班長を拝命。
決してできのよいリーダーではなかったが、琴群、水瓶群、ペルセウス群、オリオン群・・・など
主要流星群の観測合宿を主宰して、忙しくもあり、楽しくもある星ライフを満喫した。

春には後輩を迎え、星と酒の大学時代は佳境へと入っていく。

はじめのころは何もないただのプレハブだった五日市観測所も、
いつのまにか畳が敷き詰められ、テーブルが出現、同期が冷蔵庫も寄贈・・・
次第しだいに文化的生活が送れるような環境が整い、用もないのに長逗留するヤツも出てきた。

炊事や飲料水は山水をポリタンクにつめて大切に使い、
洗顔やハミガキは観測所の脇に打ち捨てられている錆びた五右衛門風呂にたまった
ボウフラのわいた水を平気で使っていた。要は使えればいいのである。

合宿参加者の義務は、1泊につきコメ2合と缶詰1コ持参だけである。
たいていはサンマの蒲焼とかサバの水煮、味噌煮などのチープな缶詰だが、
同期のN.O君は、父上が大手百貨店の勤務で、
なぜかいつも贈答用の高級缶詰・・・牛肉の大和煮などを持参するので、
食事時には、奪い合いになるのが恒例であった。
それにしても、家ではちっとも美味くない安缶詰が、なぜ観測所ではあんなに美味いのか・・・。
酒類は、持ち込めば持ち込むほど喜ばれたし、自分も喜んだ。

気づけば1979年も秋風・・・広島カープは好調を維持していた。