私の天文遍歴(巡航編その3)

1983


山形での暮らし最初の年越し、新年は放送局で迎えた。
大晦日から元旦への止まり勤務は新人アナウンサーのお約束みたいなもの。
4年後に後輩の新人を迎えるまで、私の年末年始泊まり勤務は続いた。
元旦最初のローカルニュースはもちろん「あけましておめでとうございます」から始まる。

最初の冬、山形での積雪は「瞬間値」で44センチが最高。
あとは20センチ程度の雪が道路脇にあるくらいで、実際たいしたことない。
一般には「雪国」と思われている山形だが、実は県の内陸中央部の山形市周辺は
雪はあまり多くないのである。
県南部の米沢周辺、県北部の新庄周辺は確かにドカッと積もる。
しかし山形市を中心とした村山地方は、月山や朝日連峰が衝立になるので
人の背丈を越えるような雪は積もらない。
ちなみに山形市の積雪記録は113センチ。
こう書くと多いようだが、最大記録で1メートルちょっと。東北の日本海側では大した事ない。
私は山形で5回の冬を過ごしたが、最大の瞬間値は77センチ。
街中でほとんど雪をみない冬さえあったくらいなのだ。

新人時代の冬はとにかく蔵王にスキーに行った。
リフトが30基以上、ゴンドラも4つある大スキー場が市内にあるのだからこれは嬉しい。
泊まり明けや早出のあとにもせっせと蔵王に通った。
土日の休みは先輩に譲り、新人アナウンサーは平日が休み。
オンシーズンでも平日ならリフトは待ちなしでばんばん乗れる。
この頃3000円だった1日リフト券で1万5000円分は乗った。
ひとり黙々と本場のパウダーースノーを満喫したものである(別にモテなかったわけじゃない)。

スキー帰りには駅近くの馴染みの焼き鳥屋に行くのが何よりの楽しみ。
熱い酒を頼んで、焼き鳥を30本くらい平気で平らげるのだ。
「そね田」というその店、粋なご主人が串焼きに鮮やかな手並みで塩をふる様に見入ったもの。
先輩や同期の記者、ディレクターともよく通ったあの店。新人時代の良き想い出だ。
ホロ酔い加減の帰り道。霞城公園(かじょうこうえん=旧山形城址)の堀端を、
足元の凍った雪に気をつけながら空を見上げて歩くと、氷点下の風が頬に心地よい。
雪雲が切れると、シリウスがきらきら光り、冬の星群が親しげに迎えてくれた。

さすがに関東のように「冬晴れ」なんて言葉と無縁だけに、
春が訪れるまでは、そうそう満天の星空に恵まれることはない。
でも、雪雲が去ったあとに輝きだす星たちの澄んだ光は、さすがに美しく息を呑んだ。

1983年で思い出す大きな天界のトピックスは「アイラス・荒貴・オルコック彗星」である。
この彗星は地球から450万キロという至近を通過したことで知られる星。
赤外線天文衛星IRASのカメラで発見され、5月3日に新潟の荒貴さん、
そしてイギリスのオルコック氏(往年の彗星ハンターとして有名)が相次いで発見した。
私がこの星を最初に見たのは5月9日の夜。
休みにふらりと東京に出向き、学生時代の友人(留年でまだ学生やってた)の下宿を訪問したとき
一緒に銭湯に言った帰り道、肉眼でみつけることができた。
地球に大接近したのは5月11日。
放送局の技術部の先輩に声をかけて、西蔵王の駐車場にでかけた。
かなり豪勢な星空のもと、彗星は北斗七星の近傍に、ぼんやりした光塊として浮かんでいた。
しばらく見ていると双眼鏡でも、星空の中を移動していくのがわかる。
東北の5月の清々しいい空気のもとで見た星空が忘れられない。

5月26日正午、放送局でのゆらゆら長い地震に、みんな顔を見合わせる。
それは日本海中部地震。
午後0時14分には全国ニュースに割り込んで大津波警報。
秋田、青森の地震と津波の惨害をよそに、隣接する山形県は大きな被害こそなかったが、
放送局全体は慌しい雰囲気の中で時計の回転が速くなる。

6月5日に24歳の誕生日。ひとり祝杯を上げた。

6月11日、ジャワ皆既日食。
1980年代ではもっとも条件の良い皆既日食ということでNHKはテレビ中継を企画。
当日は土曜日で私はニュースとFMリクエストアワーの勤務。
午後1時過ぎにジャワ島からの日食中継をしっかりと見た。

9月1日、大韓航空機撃墜事件。 10月3日、突然の三宅島大噴火。

そして10月8日、独身生活にピリオド。
ハネムーンのオアフで眺めた星空で印象に残っているのは、
北極星の低さと、初めてみたアケルナル(エリダヌス座α星)の輝き。
現地でお世話になった日系人家族の星の話も興味深かった。

以降、ひとり身の時代ほど自由気ままに星空を眺めるわけにもいかなくなったが、
まあ、得るものあれば失くすものがあるのも人生だと割り切る。
1983年はひとつの区切り。