私の天文遍歴(巡航編その5)

1985

昭和も積み重ねて60年。戦後40年の節目である。
夕方の空には宵の明星の金星が高々と輝き、毎日の楽しみのひとつだった。
春には妻が「おめでた」、予定では晩秋か初冬に父親になることに。

この年は皆既月食が2回。最初は5月5日のこどもの日の未明のこと。
例によって「休日」の早出勤務だった私は、放送局に天体望遠鏡を持ち込んで、
屋上から月食の観望&撮影を試みた。
1985年5月5日の月食連続写真
1985年5月5日の皆既月食(月没帯食)

西空低空の月食の進行を6.5センチセミアポ
焦点距離500ミリ(F7.7)で直接焦点撮影。
ノーガイド(追尾なし)
低空で大気吸収によって月が赤らんでいる。
フィルムは超高感度(1600)で粒子が粗い。
別々のコマを一枚に合成。

夜明けの月食
夜明けの月食

山形市では皆既が始まるときの月の高度3°
夜があけて空も明るくなってしまうため、
実際は皆既状態までは見ることはできない。
NHK山形放送局から見て、山形駅の方向、
青ずんできた夜明けの南西の空にかかる月。

この夏は暑かった。
連日の高校野球山形大会の中継の強行軍にへろへろになりながら
(準々決勝の日は第一試合TV実況、第二がスコアラー、第三、第四を連続ラジオ実況)
とにかく若さで突き抜けた。なにしろ高校野球の実況放送が一番好きだった。

山形大会決勝が終わるとほどなく甲子園への出張。
取材班だが、この夏からの新企画「アルプスリポーター」の第一号となる。
開会式直後の第一試合を担当し、前例のない企画を自分なりの解釈でやってみる。

8月12日。甲子園の仕事終え、先輩たちと一緒に宿から梅田に繰り出すタクシーのラジオから…
「羽田から大阪に向かった日本航空のジャンボジェットが行方不明に・・・」のニュースが流れる。
ほかのお客はまだニュースを知らないのだろう。
居酒屋で食事する我々のテーブルの面子だけが難しい顔してラジオにかじりついている。
宿に戻っても、深夜までテレビのザッピング。
翌朝一番のニュースワイドでついに墜落現場の空撮を目の当たりにしたときは衝撃を受けた。
8月13日、甲子園では試合の途中に「生存者4名」の文字がスコアボードに。
その瞬間、球場全体からどよめきが湧いたのが印象的だった。

8月14日、私の「地元」東海大山形が、PL学園に29対7の大会記録で大敗。
清原・桑田のあのPLの物凄さの一部始終を、私はバックネット裏でしっかり見てしまった。
東海大山形のエースは力のある子なのだが、山形大会の連投で肘を剥離骨折していたのだ。
世紀の強力打線とハンデを負ったチームの組み合わせが、思わぬ結果を生んだと言える。

10月29日、この年2度目の皆既月食がやってきた。山形は快晴。
実はこの夜、ハレー彗星は有名なM1(=カニ星雲)の傍らにあった。
通常なら満月の巨光にかき消されて見えないのだが、
皆既月食の最中は月光がなくなるので、淡い彗星や星雲を見出すチャンスというわけだ。
28の深夜からお腹の大きい妻を伴って5月同様山形放送局の屋上に陣取った。
日付が変わった午前1時前から空の高みにある満月が欠け始める。
風は冷たいが空気はよく澄んで、山形市街地の上にきれいな星空が広がる。
月が半分余り欠けて、その光が弱くなってきたところで
6.5センチに低倍率のアイピースをつけて手早くカニ星雲を探す。
まもなくカニ星雲が淡い光斑として視野に入ってきた。
そしてその近くの予報位置付近をじっくりと探すと…
「あったあった、おー、ハレー彗星だよ!」
明るさは9等級くらいだろうか、コマの広がりカニ星雲より少し淡いくらいの彗星をキャッチした。
天文少年時代から「いつの日にかやってくる」と思い続けた伝説のホーキ星に対面した瞬間だ。
月食だけで十分に感激していた妻は、暗いシミのような彗星にピンと来かどうか。
それでも当時の彼女のノートにこんな一文が…
「 もう半分以上も月は隠れてしまいました
すごく神秘的です
地球が本当に丸いんだってこともよくわかります
赤ちゃんはどう感じているのかな
きっといい夢を見ているでしょう
そばで望遠鏡をながめているだんな様がハレーすい星を見つけたようです
すごーい
念願のハレーすい星におめにかかれてとってもよろこんでいます
 」


そして午前2時過ぎ、月全体が地球の本影にすっぽり入り皆既になった。

予定日の11月21日を過ぎてもなかなか出てこようとはしない、まだ見ぬ赤ちゃん。
そしていつのまにか師走に。
12月3日の夕方、マンションの下から双眼鏡で見上げると、ハレー彗星が
おどろくほどはっきりとその姿を見せている。
あまり鮮やかなので、「ちょっと行って来る」と妻に言い残し、
望遠鏡と撮影器材を積んで山へ向かった。
山形蔵王の南どなり、蔵王エコーラインの入り口に近い蔵王坊平駐車場。
標高1100メートルほどのこの場所を、かねてから星見の絶好ポイントとしていた。
幸い、道はきれいに除雪してあり、所々が凍っているほかは問題なく4WDで上がってきた。
駐車場は除雪した雪の塊とアイスバーンに覆われていたが、私ひとりの独占だった。

肉眼で楽々6等星が見える。淡い冬の銀河も鮮やか。
ペガススの四辺形の東南東に双眼鏡でハレー彗星をみつけて、双眼鏡を外すと…
ちゃんと肉眼でも彗星の姿が見えている。全体の光度は5等級くらいか。
6.5センチに20倍の視野では中心核がクッキリ鮮やかで、包み込むコマがずいぶん大きい。
1985年12月3日のハレー彗星スケッチ
1985年12月3日宵のハレー彗星スケッチ

大学ノートに黒鉛筆で描いたラフなイメージ
実物は白地に黒の鉛筆だが
ここではデジタル処理で白黒階調を反転させた。
実際のイメージにけっこう近い感じだ。

6.5センチF7.7屈折にK-25アイピースで20倍。
さあ、彗星を写真に残すぞ。
1600の超高感度フィルムを装填したカメラに135ミリの望遠をつけて彗星を狙う。
赤道儀にモーターを取り付け、ときおり手動で追尾誤差を修正する。露出は5分。
1985年12月3日のハレー彗星写真
1985年12月3日宵のハレー彗星写真

このとき彗星は
太陽から1.451天文単位=2億1700万km
地球から0.651天文単位=9740万kmの距離
電離したガスが放つ青い光が神秘的である。
駐車場は氷点下8℃ほどだったが、
寒さを忘れさせる美しい光芒だった。
天文ファンにとっては「歴史」の一部のような存在のハレー彗星。
どうやらうちの最初の子はこの彗星に乗ってやってきたようだ。
翌日、ついに生まれる気配が出てきて、いよいよか…と気持ちが引き締まる。
12月5日、朝一番に妻を病院に送り、私はいつもどおりの出勤。
午後スタジオで特集のナレーション収録を終えてドアを開けると
先輩たちから「いよっ!おめでとう!」と祝福の声が浴びせられる。
先輩が「祝・○○君誕生」の即製ポスターを持っている。
私は息子だった場合の名前を先輩たちに先行して知らせていたのだ。
放送局から病院までは歩いてほんの5分。
まだシワシワの残る我が長男と対面したのは誕生後40分余りのことだった。

かくして1985年は非常に想い出深い年となった。
そしてハレー彗星との出会いはまだまだ続く。