私の天文遍歴(巡航編その6)

1986

夕空で成長を続けたハレー彗星は、地球からみて太陽の向こう側に回りこんでいくため、
次第に西の空低くなり、86年の1月半ばには観測が難しくなった。
彗星が前回1910年4月20日以来の近日点通過をするのは、この86年2月9日。
その後、2月の下旬からは夜明けの空にさらに成長した姿を見せるはずだ。

昨年12月5日に生まれた長男は、体重3895gとでっかく生まれたこともありきわめて元気。
ハレー彗星の回帰とともに生まれたのは、「トム・ソーヤの冒険」の作者、
マーク・トウェインと同じである。
マーク・トウェインは1835年のハレー回帰に誕生し、その次に彗星が帰って来た
1910年に世を去るという念の入れようである。

この時期、各国が打ち上げた彗星探査機が、群がるようにハレーをめざしていた。
もっとも野心的なのが欧州の「ジオット」、次いでソ連の「ベガ1、2」
さらに日本も「すいせい」「さきがけ」の2機を飛ばしていた。
やがて太陽の向こうを通り抜けたハレーがキャッチされだした。
太陽の向こうから戻ったハレー彗星

新聞紙面に登場した、近日点通過後最初のショット

夜明けの低空に現れた姿を
小笠原上空1万800メートルの飛行機上から
見事にキャッチしている。
まだ地上では低すぎて見るのは困難なころ。
ダストの尾が成長して、立派な姿になっていた。
3月に入ると、彗星は少しずつ太陽と離れるが、
見かけ上南天に移動していくので、北半球からの条件はあまり良くならない。
そして月明かりの影響があるため月が新月に近くなる3月8日過ぎくらいからが条件良し。
天気予報を睨みながら、3月9日の夜明けに蔵王に行くことにした。
当日は早出勤務だが、山で彗星を観測して6時半までに出局すればいい。
9日の午前3時前には目を覚まし、クルマでいつもの蔵王坊平に向かった。
快晴、無風、透明度抜群。言うことのない条件が揃っている。
真っ暗な登山道路をグングン登って、3時半頃にはいつものポイントに着いた。
空の状態は完璧で、6等星はもちろん、私の目には星図上の7等級の星まで、
その存在が網膜に感じることができた。3月とはいえ、夜明けは夏の銀河が豪快に流れ下る。
気温は氷点下10℃ほど。
ハレー彗星が東南東の蔵王の稜線から現れるのは4時半頃である。
それまで、美しい星空を堪能しつつ、星座の写真などを撮って過ごした。
さそり座と土星、火星

彗星が上がるのを待つ間に撮影したさそり座

さそり座の主星アンタレスの傍らには土星と火星が。
この写真をみても、いかにこの日の空が良かったか
わかるであろう。
50ミリ F1.8 フジカラー1600SR 露出5分
P型赤道儀にてセミ自動ガイド
時刻は4時半を少し回った頃。まだ薄明は始まらず相変わらず氷片のような星が輝く。
と、東の稜線の一角に淡い光りが湧いてきた。
次第にその光芒は光を増して、針葉樹がシルエットになって浮かびあがってきた。
とうとう来たぞ、私が見ているのは成長したハレーの尾の光芒なのだ。
やがて、稜線の上に頭部の中心核が現れた。
それは典型的な大彗星の立派な姿だった。
70年のベネット彗星や76年のウェスト彗星のほうが明るくて大きかったろう。
でも、私が今対面、対話しているのはあの「ハレー彗星」なのだ。
蔵王の完璧な空のもと、その姿は神々しいくらいだった。
蔵王で捉えたハレー彗星の雄姿

立派に成長したハレー彗星


1986年3月9日4時45分 135ミリ F2.8 フジカラー1600SR
露出5分 P型赤道儀にてセミ自動ガイド

ついに捉えた完璧な姿。黄色っぽく明るいダストの尾と、
淡く青みがかったイオンの尾が分離している。 左の線は流星。
ハレー対面を記したノート

当時のノートに残る、ハレー彗星との対面

南東に低い彗星を、
東に蔵王連峰の稜線があるこの地で捉えられたのが嬉しかった。
この朝ばかりは、本当に天候を含めた自然条件が
全部味方してくれた。

すっかり明るくなり、ハレー彗星が空に溶け込んでから朝の冷気を吸い込んで出発。
6時半前には余裕で放送局に着いた。その日は夢見心地。

このあと、ハレー彗星は太陽からさらに離れたものの、赤緯がどんどん南に低くなり、
この3月9日以上の姿にはお目にかかれなかった。
3月半ばから4月にかけてオーストラリア方面に遠征して観測した友人もいた。
次の回帰は2061年7月の終わり。
私はとっくに「星」になっているだろうが、長男は75歳で対面がかなうだろう。
2061年は地球との位置関係が遥かに良く、北天を中心に見事な姿をみせるはず。

4月24日、宵空の皆既月食が鮮やか。ここ2年ほど皆既月食の条件がよい。

ハレー彗星も旅立ち、夏を迎えると、火星が6000万kmの「準大接近」をしてきた。
次回の1988年が5900万kmで「大接近」なのだが、2回続きの大掛かりな接近だ。
7月に入ると、南東の空にらんらんと火の色に輝きだす火星は存在感ばっちり。
その火星が7月20日の晩に満月近い月に隠される「火星食」があった。
写真はないが、長男の成長記録のために入手したビデオカメラ(当時はまだ少なかった)で、
月と火星のかくれんぼを撮影した。
対象の天体がともに明るいので、けっこうよく写ったものだ。

8月、月の邪魔がない好条件のもとでペルセウス座流星群が活発に出現した。
まず蔵王でひとり観測。空の暗い場所だと、細かいのも含めて実に良く流れる。
大流星のあとには「痕」が残り、高層大気に流されてうねうね動く様子が神秘的だった。
翌日も天気が良く、妻と8か月の長男を連れて山へ。
流星観察は初めての妻の視野にも、見事な流星が次々に飛び交う。
長男も目をぱっちり開けていたから、いくつかの流れ星がその瞳に映じたはずだ。
2晩で500ほどの流星を数え、
私のペルセウス座流星群観測では、大学1年の78年に次ぐ出現だった。

10月18日、この年2度目の月食は天候に恵まれず見ることできず。

11月15日、伊豆大島三原山が噴火。
連日溶岩を吹き上げ、火口の中の溶岩面がどんどん上昇する。
19日にはついに火口から溶岩が溢れて流れ出す。
そして11月21日、大相撲中継が中断し映った画面にびっくり仰天。
山頂火口から離れた山腹に炎のカーテンが出現し、激しく溶岩を噴き上げている。
大島全島避難が行われた。

やがて山形生活5回目の冬。