大震と津波(その1)

 1月17日は阪神淡路大震災の日。 現代を襲った大震災から今年(2002年)で、早7年だ。
天文、気象と並び、学生時代に地震学も少々かじり、その後も資料収集をしている私にはとても他人事とは思えない天変地異であった。 いまだ、地元はじめ様々な人々の心に残る傷跡と生活のご苦労を思うと、胸が痛む。

 阪神淡路大震災が出来(しゅったい)するまでは、多くの人にとって「大震災」という3文字は、かつての関東大震災をさしていたのではないだろうか。 もちろん鳥取地震(1943年9月10日)や福井地震(1948年6月28日)のことを、地元の人々が「鳥取大震災」「福井大震災」と呼んでいることは承知している。 ただ全国的に通じる大震災は、やはり関東大震災だったはずだ。

大災害に隠れた大津波


 関東大震災が発生したのは大正12年(1923年)9月1日。 今年の防災の日で79年ということになる。 私が広島に住んでいた中学2年のときに、「関東大震災50年」という新聞記事を読んだのを思い出す。 こんなとき、時の流れの速さに驚いてしまう。

 関東大震災=大火災の固定観念があるが、資料をひも解くと大震災の多面性が見えてくる。
東京では火災による犠牲・被害が圧倒的だが、震源により近い神奈川県では揺れそのものによる被害も激しい。 関東大地震による東京府内の消失家屋は37万7000戸、全壊家屋は2万戸余り。 これが神奈川県内では、全壊が6万3000戸、消失6万9000戸となっている。 とりわけ横浜の被害と、震源にもっとも近い小田原の被害は激甚である。 小田原城の石垣はこの地震で大崩壊をしているのだ。

                  関東地震の震度分布

 さて、震害と火災に触れたが、意外に語られていないのが津波だ。 マグニチュード7.9の巨大地震が沿岸の海底を震源域に起きたのだから、津波が起きないほうが不思議である。 果たして、相模湾沿岸から、東伊豆、内房にかけて大津波が襲来したのである。 熱海では地震発生5分後に高さ2〜3mの津波が押し寄せ、湾の奥では12mの高さまで波が駆け上がったところもある。 また網代湾で7.2m。 鎌倉6m。 房総半島南端の布良(めら)にも6mの大津波が襲っている。

 夏場に関東沿岸の海の賑わいで決まってニュースになるのが、湘南、江の島周辺の海水浴場だ。
 関東大地震の津波は江の島にも襲来している。 1925年の震災予防調査会のデータによると、江の島での津波波高は3〜5mとなっている。 このとき湘南海岸にはたくさんの人たちがいたのだろうか?

 
続いては震災前後の天候を考察する   
                             
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