大震と津波(その2)
 
 大正12年(1923年)9月1日は土曜日。 週休2日の時代はまだ遥か未来であるが、平日よりも海辺に多くの人が出ていた可能性は高そうだ。 それに学校の始業式を終えた子供たちが、夏休みの名残気分で浜遊びをしていることも考えられる。 こうなると、当日の天候が大きなファクターになってくる。

 さあ、震災当日だけではなく、まず前日8月31日の天気図を見ていただこう。 いずれも気象庁資料室で閲覧した当時の中央気象台の天気図から作成してみた。


            震災当時の天気図

 31日には九州の西に深い低気圧が描かれている。 原図では中心付近に水銀柱741ミリという記述が読み取れる。 これを現代の表記に換算すると988ヘクトパスカルに相当。 季節、位置、等圧線の形状からして、まず間違いなく台風である。
 関東南岸は雲が多めながらも南東の風も入って、気温が高そうだ。 実際この日午後2時の東京の気温は30.4℃を示している。 南関東ではこの夜もあまり気温は下がらず、毎正時の気温で追跡すると、東京では日付が変わった9月1日午前3時の25℃が気温の底である。 つまり東京や横浜ではほぼ熱帯夜だったと言える。 つましい生活最後の夜は寝苦しかったに違いない。 やがて空が白み、運命の朝がやってきた。

 9月1日午前6時の観測では、台風は岐阜県北部まで東進。 中心気圧は水銀柱748ミリ程度(997ヘクトパスカル)。 もはや熱帯低気圧に変わっていたかもしれない。 南関東では低気圧に向けて吹き込む南寄りの暖かく湿った風が吹き抜けていたはずである。
 東京のデータでは、6時=26.2℃、南東の風7.8m/s。 9時=26.3℃、南の風11.2m/s。
地震波がまさに到着しだした正午=28.7℃、南南西の風12.3m/s。となっている。


 湘南・江の島付近も、地震発生時刻(11時58分)には、曇り空ながら湿った南風が吹いて、気温は30℃に近い蒸し暑い昼時を迎えていた。 こうしてみると、江の島付近の海岸には数百人を下らない人々がいたのではないか。 海岸と当時の江の島は、木製の連絡橋(弁天橋)で結ばれていた。 江の島には有名な弁天様がまつられ、多くの土産物屋や休憩所もあったから、参詣のために長さ400m近い橋の上にもかなりの人がいたことは想像に難くない。

 そこに突如、激烈な振動が襲った。 立っていられないような大地の動揺に人々は肝を潰し呆然自失となったが、津波にまで気が回ったかは疑わしい。 何故なら南関東を大津波を伴った地震が襲ったのは元禄16年(1703)年の大地震以来、220年もの時を経てのことである。 大揺れは鎮まったものの、余震に震える人々が次に目にしたのは恐ろしい光景だった。 突然、沖の海水が真っ黒く盛り上がり押し寄せてきたのだ。 通行中の人々もろとも弁天橋は大波に呑み込まれた・・・

 海岸でもかなりの人々が逃げ遅れて津波にさらわれたらしい。 鎌倉では100人ほどが、泳いでいて波に呑まれたという記述の一方で、あまり良くない天気のもと、海にでている人の姿はごく少なかったという記録もある。 また、別の震災誌では遊泳中の300人が行方不明になったと伝えている。 いずれにせよ、関東大震災では、相模湾沿岸を中心に、津波の犠牲者も少なからずいたことは確かである。

 真夏の太陽のもと、ヘリからの空撮でそれこそ人、人、人で埋まる現代の湘南の様子を伝えるニュースを見るにつけ、現代版関東地震が不意に襲ったらどうなるか・・・
想像しただけで空恐ろしくなる。