広島、あの夏の朝(その2)

天候が許す限り速やかに

 太平洋戦争中の米軍の機密文書の一部の原文から見ていただこう。

25 July 1945
TO: General Carl Spaatz
Commanding General
United States Army Strategic Air Forces

1. The 509 Composite Group, 20th Air Force will deliver its first special bomb as soon as weather will permit
visual bombing after about 3 August 1945 on one of the targets: Hiroshima, Kokura, Niigata and Nagasaki・・・

1945年7月25日
宛先:合衆国陸軍戦略空軍総司令官 
カール・スパーツ将軍

1.第20空軍第509爆撃隊は、1945年8月3日ごろ以降、天候が目視による爆撃を許す限り、できるだけ速やかに、
最初の特殊爆弾を次の目標のひとつに投下せよ。
目標:広島、小倉、新潟、および長崎・・・



 この、当時の最高機密指令でわかるように、広島への原爆投下ははじめから8月6日に決まっていたのではない。
「天候が目視爆撃を許す限り」だったのである。 目視爆撃というのは、爆撃士が照準器を使って、あらかじめ選定しておいた
地上の照準点(建物や橋などの構造物)へ機体を誘導し、高度や速度などを勘案しつつ自ら爆弾投下スイッチを入れるもの。
目視ではないものに「レーダー爆撃」があったが、当時の技術水準では甚だ頼りなく、20億ドルという大金を投じて開発した
原子爆弾という究極の新兵器を、信頼に欠けるレーダー爆撃に委ねるのは「禁止」だったのである。
加えて、後の核戦略に活かすための被害調査を行う性質上、原爆を極力、選定目標の上空で爆発させることが米軍としては
重要だったのだ。

 さて、史上初の核攻撃の許可ゾーンに入った1945年(昭和20年)8月3日以降、日本の天気はどうだったのだろうか?
1945年8月3日の天気図 1945年8月3日
午前6時(日本時間)の天気図

(気象庁蔵の原図から作成=masaruk)

 8月3日午前6時の天気図によると、東シナ海北部、済州島の南に台風がある。 これは7月16日に発生した
昭和20年の台風8号である。 3日の原図には中心気圧として730ミリと記されている。
この水銀柱気圧をヘクトパスカルに換算すると約970hPaになる。 そして1000hPa等圧線の半径は
東京〜大阪に匹敵する大きさで、ひと昔前の台風の大きさ尺度で言えば「大型で並み」の台風ということになる。
(台風の大きさは、1991年以降、風速15mの強風半径の大きさで決めている)
この台風の東を回る南からの湿った気流に加え日本海にも低気圧が認められるため、中国・四国・九州では
南側を中心に落ち着きのない天気だったことが予想される。
記録によると8月3日、4日と広島では雨の降り易い天気だったようだ。

 台風8号は朝鮮半島の西岸をかすめて北上。3日のうちには大陸に上陸して衰弱。
4日の午後6時の観測で、旧満州付近の温帯低気圧に姿を変えている。

 台風が日本の西を大回りして北上したときに、その航跡を埋めていくように、太平洋の高気圧が勢力を伸張させることは
珍しいことではない。 このときも、5日の天気図から太平洋高気圧の西側が勢力を広げ、「サブ高気圧」的な振る舞いをしている。
西のほうで高気圧が北に跳ね上がり「鯨の尾」型と呼ばれる暑い夏型の天気図となっている。
8月5日の天気図 8月6日、原爆投下日の天気図
8月5日午前6時 8月6日午前6時

 日本時間の8月6日午前1時45分にテニアン島を離陸したB29 ENOLA GAYは、日本への空路では
天候の心配はなかった。気象観測の先発機が広島や小倉に向かって数時間前に飛んでいたが、
洋上の天候には何の問題も報告されていなかったからである。 肝心なのは目標都市の天気である。

 東の空に低く光る有明の月や星の光も薄らいで広島の空が青と茜色のグラデーションを描いていた頃、
ENOLA GAYは硫黄島付近を北上していた。 飛行経過は極めて順調。 硫黄島に待機していた予備機の
TOP SECRETはお役御免となった。 日本まで1時間に接近するまではENOLA GAYと2機の僚機(No.91と
GREAT ARTIST)は高度9200フィート(2800メートル)で巡航飛行をした。

 8月6日朝の天気図。 この日の天気が広島への原爆攻撃の最大の条件であった目視爆撃の障害となり得ないのは
一目瞭然である。 広島の上に、前日は記載が見送られた高気圧が描かれているのが皮肉に思えてしまう。
各地からの入電をもとに、東京の中央気象台職員が午前6時の天気図を描き終えた頃には、
既に広島は炎の渦巻くこの世の地獄を現出していたであろう。

航空戦略と気象

 原子爆弾の開発が具体的に前進しだしたのは、1942年12月2日にシカゴ大学に設置した原子炉での
初の核分裂連鎖反応の成功からである。 それは真珠湾から1年後のこと。 資金、物資、そして頭脳を惜しまず投入した米国は、
人類がはじめて手なずけた「原子の火」を、わずか2年8か月後には広島の上空で炸裂させてしまう。
太平洋はもちろんヨーロッパの戦線での戦いを展開をしながら、国内では「超」がつく巨大プロジェクトを推進する凄さは、
あの戦争の最中には最大限に発揮されていたのだ。 そうした中で特筆すべきは、敵との戦いという究極の目的意識のもと、
非常に広範囲な分野で体制づくりと実りを挙げていることだ。 
そのひとつが「気象観測」「分析」、結果としての「価値ある情報」である。
日本が優秀な航空機を製造するノウハウを身につけながらも、巨艦巨砲主義という選択が足かせになって
傷口を広げたのに対して、米国は航空戦略の可能性を早くから見抜き、戦争の主導権を握った。

 飛行機を飛ばすには当然のことながら気象のことをよく知らなければならない。 一般に考えられているよりずっと重要だ。
それは気象予報士のうち、気象庁や民間気象会社に次いで、航空自衛官の気象予報士が多く、
また航空会社も社員気象予報士を多く抱えていることからも伺えよう。

 アメリカは専門家を動員して、戦地の気象情報の収集、解析に並々ならぬ努力を傾注したのである。
日本上空の強いジェット気流に一度は面食らうことはあっても、直ちに観測、分析にかかり、そうした条件を織り込んだ
航空戦略を練り上げてしまう。 航空隊や空軍に気象観測部隊は必須チームである。 アメリカはそれを大切にし活用した。
 
 話を広島への原爆攻撃に戻そう。
制空権を手中にしたアメリカはデータと専門家を投入して、日本の天候が安定するのは8月のはじめとはじきだしていた。
それを念頭に原爆の開発、実験、輸送、投下作戦のスケジューリングもしたようである。 
冒頭に記したように8月3日以降に作戦発動の文書は7月25日付で打電されている。
グアム島の司令部では台風が九州の西にあった8月2日の段階で、気象解析のスタッフの意見を取り入れて、
初の原爆攻撃の作戦最終命令を出している。

  攻撃日:        8月6日
  攻撃目標:      広島市中心部および工業地域
  予備第二目標:   小倉造兵廠と同市中心部      予備第三目標:   長崎市中心部
  特別指令:      目視投下に限る
  投下高度:      2万8000フィート〜3万フィート
              (8540メートル〜9150メートル)
  飛行速度:      時速200マイル


 ここに8月6日という「運命の日付」が確固とした形で登場するわけである。

そして8月6日はやってきた

 テニアン島を含め、マリアナ諸島の基地から日本への爆撃空路を、アメリカ兵は「ヒロヒトハイウェイ」と呼んでいた。
そのハイウェイをエンジン音をごうごう轟かせながら飛ぶENOLA GAYに、午前7時25分に暗号が入電する。
発信元は先行した気象観測機STRAIGHT FLUSH。
  
  暗号は伝える・・
・「雲量、全高度を通じて10分の3以下。 第一目標爆撃を奨める」

 そして ENOLA GAY機長のP.W.ティベッツはインターコムを通じて乗員に伝える
 
             
「広島だ」

もし・・・

 あえて歴史にifを持ち込んでみたい。
戦争の進行とマンハッタンプロジェクトによる原爆開発が1か月早く進んでいたら・・・
中国地方は梅雨の只中。 目視投下が絶対条件の原爆投下作戦が一週間、10日と天候の悪条件に阻まれ
作戦実施に踏み切る機会を得ないまま終戦・・・。 こんなシナリオは描けないだろうか。
広島同様、この時期には小倉や長崎も、梅雨前線に伴う雲のヴェールに包まれるだろう。
もうひとつの目標、新潟は梅雨前線の影響から抜け出している可能性は、西日本の目標に比べて高い。
しかしながら新潟は、もともとマリアナの基地から4トンもある原爆を搭載して往復するには遠く、
作戦指令部側の関心はあまり高くなかったようである。

 戦後(1973年)返還された米軍資料写真の中に、広島市の南東40キロ付近の瀬戸内海上空から空撮した、
原爆投下から50分ほど後の午前9時過ぎのキノコ雲の写真がある。
内陸側にやや雲の多い地域も見受けられるが、瀬戸内沿岸部にところどころ夏の積雲(わた雲)が浮かんでいるほかは、
全般に透明度も良く、好天だったことが伺える。 それは白黒写真だが、黒々と抜けた空のコントラストは、
あの日の空の深さを想像させるに十分でsる。