フェーンと大火(1)

山火事や大火は圧倒的に春に多い。
大規模な山火事や大火には必ず「強風」がつきもの。
そしてそれが乾いた強風であれば、火の不始末が思いもよらぬ災害へと直結する。
鳥取大火当日の天気図
左は1952年(昭和27)4月17日午後9時の天気図。
ちょっと気象に心得のある人ならひと目でわかる、
典型的な「日本海低気圧」のカタチだ。
21時の観測では、低気圧の中心気圧994ヘクトパスカル、
さらに発達しながら東北東に進んでいる姿である。
この日の日中は北日本を除いて南よりの風が強く、
山陰や北陸では、山越えの風による昇温・乾燥・・・
すなわち「フェーン現象」が起きただろうことが推察できる。
果たして、今回の話の舞台となる鳥取市のこの日の最高気温は25.3℃
最大瞬間風速は南南西22.5m/s、そして最小湿度は28%であった。


戦後最大の市街地火災

季節外れの高温。 吹き荒れる乾いた風。 
こうしたフェーン気象のもとで火災が恐しいのは言うまでもないこと。
鳥取でも消防本部などは警戒していたはずである。
しかし午後3時頃、鳥取駅にほど近い、現在の永楽温泉町付近の空き家から
火の手が上がってしまった。
火は強風にあおられて市の中心部を総なめにし、
消失5228戸、被災者2万5000人余りの大火となり、12時間燃えて
翌18日午前3時頃になってようやく鎮火した。
戦後最大の市街地火災「鳥取大火」がこれである。

このときNHK鳥取放送局の最若手アナウンサーだった井上浩さん(藤沢市在住)は、
火災当日、NHK局舎の屋根(当時は平屋)に上がって、
大火の模様をラジオで実況中継した経験をお持ちだ。
実は井上さんは、20年前にmasarukが公共放送新人アナウンサーだった時の研修所の先生。
ご無沙汰していますの挨拶かたがた電話で大火当日のことを伺うと、
現場を体験した人間にしかわからない、気象的にも興味深いことがいくつか出てきた。

昭和27年4月17日。井上さんはNHK入局3年目に入ったばかり。
この日は非番だった井上さんの下宿には、岡山から同期のアナウンサーが遊びに来ていた。
井上さんは「あの日は高曇りで、確かに気温が異様に高かった」と記憶している。
同期とくつろいで話に花を咲かせていると、遠くで半鐘が鳴り出した。
しかも、どうも外がだんだんと騒がしくなりはじめている。
家の外の様子を確かめた井上さんは大きな火事が起きていることを覚り、
「こりゃちょっとどうかな・・・」と思ったそうだ。
とりあえず同期を下宿に残し、放送局に向かった。
もちろん、屋根上で大火のラジオ実況をするなど思いもよらなかったそうだ。
(昭和27年には、まだ大都市を含めてテレビ放送は始まっていなかった。)


火が風を呼ぶ

井上さんの記憶によると、風ははじめ南東から吹いていたが、
火の勢いが強まると風向きも渦を巻くようにぶれだし、
まるで火が風を呼ぶかのようにさらに風速が増していったという。
周囲を小高い山に囲まれ。北西方向が日本海に開いた形の、さして広くない市街地に、
突如、強力な上昇気流源が出現したのだから、
風の吹き方そのものに大きく影響したのは容易に想像できることだ。

強風下の火災の怖さは「飛び火」だ。
井上さんの表現を借りれば「火のかたまりが飛んでいく」のである。
それは火の粉程度のものではなく、火のついた木片が飛ぶ、焼けたトタンが飛ぶ、
そして巨大な炎のかたまりが、メラッと風下に飛び移っていくのである。
飛び火は新たな火災の拠点になり、そこからまた飛び火が吐き出されるのだ。
「それは算術的な増え方だったよ」
はじめに火が出たところを起点に、火災の地域は風下に向け「扇形」に広がっていく。
そして飛び火によって、小さな扇がどんどん散らばりやがて扇同士が合流していく。
消防団が防火帯を作ろうと、家屋の間引きにも取りかかったが、それこそ焼け石に水だった。

強風下の火の流れや進行は、頭で考えているよりはるかに速い。
教訓はただひとつ「強風下では絶対に火を出すな」に尽きる。

この大火でNHKの局舎にも風向きが振れたときに火の粉混じりの煙が降りかかった。
しかし、位置的に最初の火元に近く、火の進行方向とは角度があったので、
職員の奮闘で類焼は免れた。
ただ、敷地内に2本立っていた70mのラジオ送信アンテナの鉄骨が、
市街地に燃え盛る大火の放射熱を吸収し、
根元の部分でも火傷しそうなくらい熱くなっていたのを井上さんははっきり覚えている。

クラシックレコード


この大火で井上さんの下宿も焼け落ちてしまった。
緊急放送に携わりながらも「ああ、下宿はダメだな・・・」と思っていたそうだ。
独身時代のことで身の回り品は少なかったのだが、
大切にしていたクラシックレコード(78回転のSP盤)のことは脳裏をかすめたという。
ところが下宿に残してきた同期が、レコードだけはなんとか無事運び出してくれていた。
「いやあ、大恩人です」

フェーンと大火というと日本海側の専売特許のようだが、決してそのようなことはない。
太平洋側にも大火がある。
次編は1980年代にあった太平洋側の大火を書いてみたい。